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日本の学校教育が変わるためには?
学級や学校ごとに、もっと自由な教育がそこかしこで認められてもいいんじゃないだろうか。
極端かもしれませんが、これが私の考えです。
学校や学年で、足並みをそろえることは大切なことです。
しかし、隣のクラスと違う独自の教育を子どもたちと一緒に行ったり、モンテッソーリ、IB、イエナプラン教育を始めとした海外の教育方法(内容含む)を実施したりといったチャレンジが、もっと許されてよいのではないかと思います。
(©PAKUTASO)
我が子をどの学校、クラスに入れるか選べない日本の教育では、独自路線を走ることの難しさはありますが、それも含めて、「子どもの生き生きとした学びと成長」のために、授業や学級経営、行事などの教育活動にもう少し寛容になってもよいと思うのです。
では、「寛容になる」というのは、具体的にどういうことでしょうか。
「寛容」=許す=自由、と捉えられがちですが、私が考える道筋はシンプルです。
それは、「子供が中心」かどうか。子供の成長につながっているかどうか。ということです。
子どもが学びの中心
どのような教育手法でも、授業の在り方でも、共通して私が大切にしている考え方があります。
それは、
であることです。あくまで学ぶ主体者は子ども、授業の主役は子ども一人ひとりだということです。
最近、私の学級では、「子供先生」という授業スタイルを行っています。
(クラスの子たちといっしょに作り上げたものです)
一週間、子どもたちだけで担当教科や役割を決め、教材やプリントを自作して、SNSやICT機器を活用して、意見を共有し、授業の流れを準備します。
そして、先生の代わりに黒板の前に立って、1時間授業をするのです。
(=子供が先生。同じ立場だから互いに本気で学び合う)
この「子供先生」の取り組みについては、また別の記事でお伝えしようと思いますが、何よりも一年間を通じて一人ひとりがハンパない成長をします。
そして、「授業が自分事」になります。
このシステムを作り上げてきた子どもたちの力と、素直な心を改めてリスペクトします。
また、他にも、学級や学年単位では、「机や棚の配置換え(リフォーム)」「SNSのルール決め」「宿題の内容」「学級だよりのコメント」「学年集会の内容」など、子供が主人公で進める取り組みをいくつも行ってきました。
これらすべての活動が「子供が主人公」になるために、もっとも必要な要素は、「先生が子供たちを信頼して任せる」ことです。
(子供の成長につながる、そして身の危険が迫らなければ、基本的には失敗OK!やってみようのスタンス。)
この姿勢を、私たち大人が最後まで持てるか持てないかで、すべてが決まると言ってもいいでしょう。子供の未来も決まります。
これからの子供たちの未来を担っていく先生方に、私が一番伝えたいことです。
ところで、哲学者ジョン・デューイは、著書「学校と社会」でこう伝えています。
このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。(デューイ著/宮原誠一訳「学校と社会」1957.岩波文庫)
たしかに、授業という教育活動一つを例にとっても、その重心を教師から子どもに移すことで、子どもの姿で教育を捉えることができます。(前編参照)
まさに子どもは太陽であり、教師や授業、様々な教育活動は太陽(子ども)の周りを回っている星なのですね。
太陽一つでさえ明るいのに、子供同士で学び合ったり、子どもと先生、保護者、地域の大人を巻き込んで学びを進めることで、太陽系がいくつも重なり合う素晴らしい銀河になるのではないかと考えワクワクしてしまいます。
さて、私たち教師や大人は、太陽の周りを回る惑星のように、子ども中心の活動を生み出すよう見守り支えているでしょうか?
よく自問自答しています
クラスソング
「子どもって本当にステキで、キラキラと光を放っていて、太陽のように輝いてる。」
最後に、テーマと関係ない話になりますが、18年前、大学を卒業して初めて教壇に立ったとき、担任した31人の子どもたちと一緒に作った歌があります。
【歌詞】
手をたたき 大声で
この歌を 歌おうよ
いやなこと どんなこと
みんなで さあ ふきとばそう
おもいきり泣けばいい おもいっきり笑えばいい
いつでも まっすぐで すかっとした 太陽のように
かけっこで ぬかれても
笑顔はいつも 一等賞
おにごっこで 日がくれて
母さんいつも おにになる
おちこんだっていい また立って歩けばいい
いつでも まっすぐで すかっとした 太陽のように
うつむいて 後悔か
上向いて 航海か
ぼくたちの 心には
とびきりの 羽がある
おもいきり飛べばいい おもいっきり走ればいい
いつでも まっすぐで すかっとした 太陽のように
(H18年度6年2組クラスソング)
あのときの子どもたちは、もうすぐ30歳。
社会の中枢を担う太陽となっているのでしょうか。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
さしすせそれでは、また次回。
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