「一人も取り残さない」日本教育のウソとは?【後編】

学校教育

©ぱくたそ

足並みバイアスを超えて

学校教育は、社会性を身に付けさせる意味もあるので、大勢の子どもたちが「足並みをそろえる」「全員が同じことをする」指導が行われています。

このような一斉指導は、従来の知識重視の日本型教育では、全員が等しく学力や知識を身に付け、日本の経済成長を支えるのに大きな功績を残してきました。

しかし、一方で、同じ行動を強いる(同調圧力)やり方によって、一人ひとりの個性の芽が日陰に追いやられ、すくすくと育ってこなかったことも事実です。(「学力」の定着を強いたことによる日陰が「落ちこぼれ」ですね)

一人ひとりの個性を認めるということは、行動や考え方の違いを(多少なりとも)認めるということです。

では、次のような子が近くにいたら、皆さんだったら認めますか?どんな声を掛けるでしょうか。

 

  • 全校朝会のとき、全校児童が「前へならえ」をして整列しているのに、アリの巣穴がどうしても気になったので、一人だけしゃがんで砂をいじってる子。
  • 給食の時間、「どうしても自分に合わない」からと言って、出された牛乳を一口も飲まずにいつも片付けようとする子。
  • そして、僕のクラスのように、授業中も給食時間も、ガンダムが好きすぎてモビルスーツを常時かぶっている子。

 

これらの例は、実際に起こった(先生方の日常でよくある)出来事ですが、私は、あえて足並みをそろえさせませんでした。

この子は、今、目の前のことに夢中なんだ。
無理やりそろえさせることに(その子にとってきっと)意味はない。
だったら、とことん付き合ってやろうと。

まず、その子の興味や好きなことはなにかを探しました。分からないことは尋ね、「その子の好き」を「私の好き」にしようと試みました。そうやって、相手の土俵で相撲を取ることにしたんです。

 

すると、そのうち、クラスの中でその子のことを認める子が表れたのです。

「本当に、ガンダムのこと何でも知ってるよな。
逆に、モビルスーツ被ってないと、なんかむずがゆいよ。」

からかうわけでもなく、それがその子の当たり前

そのマインドセットが浸透してくると、今度はお互いがお互いのよさを進んで見つけ、認め合い出したのです。
周りの子どもたちの心が変わり、クラスが大きく変わった瞬間でした。

今でも、あの「ガンダムクラス」を超えるクラスにはなかなか出会えていません。

©いらすとや

 

出過ぎた杭は打たれない!

現場の先生たちは、「理想と現実」の両方を背負い、一斉と個別のようなジレンマを日々抱えながら、文字通り一所懸命に子どもたちに接しています。

ですから、本当の意味で一人ひとりのよさを認め合えるためには、教育の在り方や学校のシステムそのものまで踏み込まなければなりません。

そもそも、一人ひとりをじっくり見つめ、認めようと思ったら、担任の先生一人で30~40人も見られるわけがないのです。

 

また、批判を恐れず言うなら、
本当に子どもの個性や主体性を育ませたいなら学習指導要領からもどんどん抜け出すべきです。

世界の様々な教育システムや指導方法を導入しながら、より良いものを目の前の子どもたちと見出していけるほうが個を生かすことにつながります。

人員や予算の確保など、日本の教育をより良くするには、まだまだ課題が山積しているのです。

でも、どんどん声を上げていきましょう。
杭が出たって、とがったって、いいじゃないですか。
出過ぎた杭は、打たれない。

終わりに

様々な悩みや問題を抱えた中で、先生方も、私たち親も、目の前の子どもたちが太陽のようにキラキラ輝くために毎日頑張ってる。そのことは同じです!

幸せに向かって、いっしょに頑張っていきましょう!

そんなふうに、我が家の子育てにも向かってほしいものですわね。

あべし!!

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

さしすせそれでは、また次回!

 

(→前編はこちら

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